約20年前のカンボジア暮らし!ダイナミックな社会の変化を肌で感じる。の巻
今日は、約20年前のカンボジア暮らしの体験談を紹介します('ω')ノ
カンボジアと青年海外協力隊の歴史
カンボジアでは1965年から協力隊の派遣がはじまりました。しかし、1970年に内戦が始まってからは派遣が中止され、1992年に再開されました。
ですが、それからもまだまだ政情が不安定な状態が続いていました。
1993年からラナリット第一首相、フンセン第二首相の二人首相制連立政権となりました。やがて、1997年には首都プノンペンで武力衝突が起き、ラナリット第一首相は失脚しました。
1998年には第二回国民議会選挙が行われ、第一次フンセン首班連立政権がはじまりました。
引用:
約20年前、このダイナミックな政治の変革のなか、青年海外隊員はどうしていたのか…?実際の体験談を紹介します。
飲み会の席でお話を聞いたので、自分の記憶が正確ではない部分もあると思います。何卒ご了承くださいm(__)m
約20年前の隊員の経験談
現在はカンボジアの11州に隊員が派遣されていますが、約20年前は首都プノンペンにしか隊員はいなかったそうです。
現在のプノンペンの様子
現在JICAのドミトリーやJICA事務所がある地域(プノンペンの中心部)には、多くのカンボジア人・外国人が住んでおり、とても賑やかで栄えています。
ですが、1997年にはこのエリアも武力衝突地域になったそうです。
銃撃音が聞こえるのは日常茶飯事…。
隊員は食料を買い込み、1週間自宅待機になったそうです。
電話は通じなくなり(おそらく当時はネットも通じてなかった)、隊員やJICA関係者は無線でやりとりしたとか。
ある隊員は、日本にいる家族(または友達)と電話している最中に、突然電話がつながらなくなったと言ってました。か、悲しすぎる…。
もし現在のプノンペンで、電話もネットも遮断された状態で一週間自宅待機になってしまったら、私なら不安でおしつぶれそう…。とりあえず、家の中で昼寝・読書・ダンスを繰り返すかな。笑
ですが、当時幸いにも水・電気のインフラは健在していたそうです。これは本当に本当にありがたいことですね。
ある元隊員の方は「自分の近所が戦闘地域にのみこまれたんだよ。」とおっしゃていました。どういうことかというと、戦車が家の前の道に迫ってきたそうなんです。めちゃめちゃ怖い…。
外にいると、流れ弾に当たってしまう可能性があるので、自宅待機期間は外出禁止だったそうなのですが、好奇心旺盛な人は写真を撮りに出かけてしまった、とか。うーん、自分が同じ状況に遭遇したら(外には出なくても)なんとかして窓際から貴重な写真を撮ってしまうかも…?
自宅待機の後、隊員はタイに一時国外退避となったそうです。
武力衝突下のカンボジアを経験し、タイに行ったときの解放感(?!)はとても大きかったそうです。
その20年前の当時から現在に至るまでカンボジアに関わってきた日本人の方々は、ダイナミックな歴史、そして社会の変化を、肌で感じてきたのです。
上記の体験を懐かしい思い出話として語っていただきましたが、今のプノンペンからは想像がつかなくて、ただただびっくりしました。
それと同時に、やはりカンボジアの復興というものを長年間近で見てきた、というかその中にいたからこそ、カンボジアという国に愛着をもつようになるのだと思いました。
さらに、カンボジアでの大変な経験を共有する日本人同士、不思議な絆(縁?)があるのだなと感じました。
今と昔、変わるもの、変わらないもの
カンボジアは現在も、日々変化しています。
分かりやすい部分としては、首都プノンペンの街並みは数か月単位でも変わってきています。相変わらずの建設ラッシュです。そんな中、約20年前から続いているローカル屋台もあるそう。どんどん暮らしが便利になっていくのは在住外国人にとってもカンボジア人にとってもありがたいことですが、そういった昔ながらのお店の存在って、嬉しいものなんじゃないかなと思います。
自分が何年かごとにカンボジアを訪れる際は、さらに都市化が進むと思われますが、自分が通っていたローカル屋台が残っていたらきっとほっとするだろうな。
政治面では、2018年に国民議会選挙が行われます。そして今現在、徐々に政情が不安定になってきています。それに伴って、カンボジア社会も今後さらに変わっていきます。(それがおおむね良い方向にいくと良いですが…。)
自分も、今隊員としてカンボジアにいる間も、日本に帰ってからも、カンボジアという国の変化を見守っていきたいなと思います。それと同時に、「今」をしっかり見ておく、よく知るのも、大事にしたいですね。